無我の体験(覚醒ブックス)
バーナデット・ロバーツ / 本
無我の体験(覚醒ブックス)本ダウンロード無料pdf - バーナデット・ロバーツによる無我の体験(覚醒ブックス)はナチュラルスピリット (2014/10/23)によって公開されました。 これには288ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、10人の読者から4.1の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。
無我の体験(覚醒ブックス) の詳細
この本を見つけたり読んだりすることにした場合は、無我の体験(覚醒ブックス)の詳細を以下に示しますので、参考にしてください。
タイトル
無我の体験(覚醒ブックス)
作者
バーナデット・ロバーツ
ISBN-10
4864511403
発売日
2014/10/23
カテゴリー
本
ファイル名
ファイルサイズ
25.59 (現在のサーバー速度は28.36 Mbpsです
無我の体験(覚醒ブックス)本ダウンロード無料pdf - 内容紹介 『自己喪失の体験』が、新完訳版として復刊! (『自己喪失の体験』は抄訳でしたので、今回完訳にしました。) 覚醒を求める人、必読の書! 無我(無自己)への二つの段階を。著者は自らの体験を通して語っています。 かなり壮絶なところもあります。 第一段階は、「神と一体」になるワンネス体験。 第二段階は、「主体」「対象」「それ自体」が三位一体と認識する体験。 第一段階では、まだ自己と神との分離があります。 第一段階から第二段階に行くまでには、「大いなる通路」があります。 その「大いなる通路」を通ったとき、完全に自己は無くなります。 すべての分離がなくなり、それ自体の道になります。 キリストについても、その観点から考察されています。 キリスト者が、無我(無自己 no-self)に至った貴重な記録です。 禅にも通じるものがあります。 「本書は、自己というもののいっさいが失われていく二年間の体験を綴った、個人的な旅の記録です。 この旅は、人生をまったく新しい、異なる領域へと導く道程を歩む体験であり、それまで四十年ものあいだ、 さまざまな黙想体験を経ていたにもかかわらず、私はそのような状態が存在することすら知りませんでした。 自己を失うという体験は想像を絶するもので、私の知っているどんな思想体系のなかからも見つけ出すことができませんでした。 それでも、私はあちこちの本屋や図書館を探し回りましたが、この旅に類似した過去の例や記録など、 その当時にあったら何らかの助けとなったであろう文献は見当たりませんでした。 そうした記録があればどんなによかったであろうと痛感した体験から、 いつか私と同じように自己超越という旅をする運命にある人の役に立つことを信じて、この書をしたためています。」 (「序文」より) 在家禅者で花園大学文学部教授のジェフ・ショア氏の解説付き。 内容(「BOOK」データベースより) 自己が無くなった生き方とは?著者の壮絶で貴重な記録。『自己喪失の体験』が、新完訳版として復刊!! 商品の説明をすべて表示する
カテゴリー: 本
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キリスト教圏に登場した解脱者による、生々しい体験手記、それが本書でしょう。著者のバーナデット・ロバーツは、キリスト教神秘主義カルメル会に所属する方のようです。キリスト教神秘主義は、同じキリスト教といっても、瞑想実践を主体とする一派になるようです。具体的には、魂の暗夜、照明、合一といった段階を経て、最終ゴールは、神との合一になるようです。照明とは見性と思しき神との邂逅体験であり、合一とは禅定、サマーディのことかと思われます。キリスト教神秘主義では、神と一体となる合一がゴールとされつつも、バーナデット・ロバーツは、それが第一弾階の終わりであり、ここから無我へと進む第二段階が始まることを、存在していることを、偶発的に知り、体験。その第二段階の始まりとゴールに至るまでの約2年間の体験が、ご本人の驚嘆とともに、詳しく描かれています。本書で述べられていることは、この第二段階からになります。ある日の午後、馴染みのチャペルでいつものように黙想をしていたところ(サマーディに入っていたところ)、サマーディが解けても思考が戻らなくなり、自己が消滅し、心の機能が停止してしまうという、劇的な体験をします。手記は、ここから始まります。しかしこの段階での自己の消滅は、まだ「見ている何者かがいる」とし、ゴールではなく、この先にあらわれる「大いなる通路」を経ることによって、最終ゴールの「神そのものに溶け込む」ことが述べられています。驚くような手記なのですが、さらに驚くのは、精密な記述となっている点です。大変、詳しく、ご自身の身の上におきたことを述べています。混乱と驚きとともにつづっていますが、この混乱と驚きは、「切り倒された木には、まだ樹液が残っている」というたとえもさることながら、キリスト教神学には、涅槃、無常、無我といった教えがないことにも起因している印象も受けます。しかしながら、このような詳細かつ精密な表現は、他に見たことがありません。そして、バーナデット・ロバーツが到達した、この「神そのものとなる」というのが、まさに解脱、ニルヴァーナであることを示唆するかのようです。原始仏教やアビダルマに馴染みのある方が読みますと、バーナデット・ロバーツの手記は、まわりくどい言い回しや、粗削りで生々しい表現があるにせよ、描かれていることは、まさに唯作の世界、つまり阿羅漢の世界に近い印象を受けることと思います。キリスト教神秘主義の伝統とは大きく乖離していますが、内容は仏教的です。煩悩の消滅、十二因縁の原型のような解説、サマーディとなるポイントの描写、無常、無欲の説明等、原始仏教に通じるものが精密に表現されています。しかし、完全なる無我であっても思考が起きるメカニズムとか、仏教では説かれていない、驚嘆すべき記述もみられます。あと、なぜ修行なり、戒律が必要なのかについても示唆されています。それは、最終フェーズにおいては、道から外れる恐れもあり、そうならないための安全装置の役目もあり、古来から伝承されている修行システムの重要性が、新しく浮かび上がってきます。バーナデット・ロバーツは、仏教的な知識も概念も、まったくといっていいほどご存じないはずですが、仏教の核心を述べているという事実。修道上においても、原始仏教を補完する上でも、大変参考になることと思います。OSHOの説く、第六身体から最終ゴールである第七身体に達する辺りを、具体的に描写している感もいたします。しかも最終ゴールにシフトするには「自己の消滅は外部的な力にゆだねるほかはない」(p213)として、ここは、まさに「恩寵」による導きを示唆しています。これはイランの覚者、フーマンが述べることとも一致し、バーナデット・ロバーツがたどられた歩みは、王道であろうかと思います。本書では、十字架の聖ヨハネも、同様の体験をしていたのではないかとバーナデット・ロバーツは示唆しています。キリスト教神秘主義の世界には、悟りに至った方がいることをも彷彿とさせます。ところで、バーナデット・ロバーツは、この体験を読んだ方の中には、精神病(離人症や解離性障害)と思う方がでてきても仕方ないでしょう、ということを本人自身が述べています。しかし、心が機能しているから精神を病むという、逆転の指摘もされています。心、エネルギーのことを、これだけ精密かつ本質に迫る深い解明している辺りは、とても病人とは思えませんし、むしろ卓越した知性を感じさせましょうか。こうした辺りは、解脱者だからこそ書ける、述べられることではないかと思います。キリスト教神秘主義に登場した解脱者。この事実だけでも衝撃的なのですが、いろんな意味で世界観を破壊し刷新してくれます。「希有の書」といってもよいかと思います。こうした書を手にして目にすることができるというのは、本当にありがたく思います。本書は、修道士特有の言い回しと思しきところがありますので、人によっては、読みにくく感じるかもしれません。また、何かを信奉し、こだわっている方とか、固定観念などを強く持っている人には、受け入れ難く、反発を感じるかもしれません。人を選ぶところがあるかもしれませんが、大いなる示唆とヒントに満ちた書であると思います。
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